構造形式

弘前学院外人宣教師館を紹介する書籍から

 弘前学院外人宣教師館は、木造建築面積158.855㎡、2階建て、屋根寄棟造、東面下屋とも鉄板葺、南面向きで、上下階とも中央部東西に中廊下(ホール)を設けています。

 元青森県立弘前工業高等学校建築科の教員であった 故 古跡昭彦 氏の著書『ぷらっと建物探訪-古い建物のはなし-』(地元タウン誌の月刊『弘前』に連載された“文化財散歩―古い建物のはなし-”をまとめた単行本)の中で、弘前学院外人宣教師館が紹介されています。

 月刊『弘前』に連載された“文化財散歩―古い建物のはなし-”は、法人本部が事務局として使用していた時代に取材・執筆されたもので、弘前学院外人宣教師館が建てられた時代、建築様式、重要文化財となった経緯などを、1級建築士でもある著者が専門家の視点から詳細に解説しています。

『ぷらっと建物探訪-古い建物のはなし-』2005年4月19日発行
著者/古跡昭彦
編集・発行/堅香子草プラン 代表 藤田きみ 題字/藤田きみ
トレース画・地図作成/石戸谷恵美子  印刷・製本/小野印刷

建物探訪3 重要文化財

弘前学院外人宣教師館

 クリスチャン棟梁櫻庭駒五郎の設計施工と言われる、弘前学院外人宣教師館を紹介します。この建物は、昭和53年に重要文化財としての指定を受けた建物です。
 弘前において、優秀な人材の育成に力を注いだ本多庸一は、女子教育にも早くから必要性を感じていました。そして、明治19年に、山鹿元次郎を校長として弘前教会会堂内に、函館にある遺愛女学校の分校として“来徳女学校”を開校しました。明治22年には“弘前女学校”と改名し、米国婦人宣教師のもとでの学校運営となりました。開校から20年目にあたる明治39年に、その婦人宣教師のための住まいとして建てられたのが、この“弘前学院外人宣教師館”なのです。
 一見して一際目立つのは、八角形の平面を持つ尖塔部分です。ここは、内部の方から見ると、室の壁面を後退させて造られた空間の“アールコーブ”といわれるところで、1階では応接室として、2階では談話室としてその出っ張り空間をつかっており、軽快な雰囲気を演出しています。屋根はとんがり屋根、そのてっぺんには、デザインされた突針飾りが載っています。上げ下げ窓の上部には、半円形のファンライト、そして茶褐色に塗られた目の細いがらり戸が付いています。外壁は下見板張りで、淡いピンク色のペイント塗となっています。どれをとって見ても、女性を意識した繊細で優美な気品を醸し出しています。この建物ができる前は、慣れないスタイルの狭い日本家屋に住むことを強いられていた宣教師たちが、どんなにか待ち望んでいた建物であったかを伺い知ることができます。
 この建物で、大変興味がそそられたところがあります。それは二つある階段のうちの、幅の狭い方の直階段です。その理由について説明していきます。長崎のグラバー園の中に、グラバー邸という洋館があります。トマス・グラバー自身が間取りの指示を与え、地元の棟梁に造らせたものです。その平面プランには、家族員や来客と使用人との動線の交錯を避けるための緩衝空間として、サービス用の廊下があります。また、愛知県の明治村に、旧西郷従道邸が、移築保存されています。設計は、フランス人技師と言われています。その平面プランにも、先ほどと同じ理由で使われているサービス用の階段があります。二つの洋館に共通することは、どちらも外国人の設計によるものなのです。私の意図するところを感じませんでしょうか。
 さて、宣教師館を建築するにあたっては、邦人婦人伝道師の監督の任にあたっていたミス・グリフィスの奔走で、米国メソジスト教派の外国伝道局本部から資金提供されました。その際には、設計図を見せてそれに見合った金額を獲得したのでした。
 この建物の図面は、誰が設計したものか定かではありませんが、宣教師館のプランを見る限りのおいては“洋風”のプランではなく、まさに宣教師たちが住み慣れている“郷土の建物”そのもののプランだと思います。だからこそ、宣教師たちにも、使用人のためのサービス用の階段が、当たり前の装置として配置されていたのだと思われます。そのことから察するに、日本人である櫻庭駒五郎が独自に考えて設計したプランだという説には、無理があるような気がします。しかし、駒五郎は、ミス・グリフィスからメソジスト教派の教義を深く教えられ、宣教師館の建設にあたっては、損得抜きで、精魂こめて施工にあたったことは記録からも間違いないことです。よって、メソジスト伝道本部からの設計図を元に、駒五郎が請負施工したという説が自然であるという結論に達したのでした。
 現在、この建物は弘前学院本部の事務所として使用されています。昭和49年以降全く使用されず空き家となり、破損が激しく、解体処分の危機にさらされていましたが、“明治時代の代表的建物”として日本建築学会が「保存すべき建築物」にリストアップしたのがきっかけで、保存されることになったのでした。価値を見いだしてくれた人に感謝し、後世に長く残していきたいものです。

<弘前市稔町13-1>

弘前学院外人宣教師館(弘前学院資料館)